名前
 か・い・と、――――と。
 その唇に名を紡がせてみたいと、唐突に思った。


 それどころではない状態なのを知っていて、訊く。
「白馬、オレの名前、何だ?」
意味を掴めていない瞳が、うっすらと開かれて快斗を見る。
「名前。オレのこと、呼んでみ?」
弄ぶ手の動きは止めぬままに、じっと上目遣いに見つめて――――
「……く……ろ、ば……く、ん……?」
とぎれとぎれの吐息に混じって聞こえた声に笑い、急所をぎゅっと強めに握り込む。 思わず上がった悲痛な悲鳴と、勢いよく跳ねる身体。それを押さえ込み、
「そっちじゃねぇよ」
生理的な涙に潤んだ瞳をうっとりと見つめながら、力を失いかけた手の中のものに舌を絡ませる。 そっと口の中に含むと、びくり、と震えた。視線を上げ――――目が合うと、少し遅れて頬が染まる。
「分かんないか?」
先端が、唇に触れるか触れないかの位置でしゃべる。白馬の震える手が、強く快斗の髪を掴んだ。
「――――キッ……ド……?」
「それはオレの名前じゃねぇよ」
面白くもなさそうな声で言って、外した罰、といわんばかりに歯を立てる。再び悲鳴を上げかけ―――― それを必死に飲み込もうとする姿が、愛おしいと思う。
 戸惑った瞳……無理もない。
 快斗も白馬も、相手のファーストネームを呼んだことなど、これまで一度もない。 必要がないとすら、思っていた節がある。
――――ずっと英国暮らししてたくせに、おかしな奴。
そんなことを思いながら、意地悪く笑う。
 分かんないの?と頬張ったまま言って、後ろをつんつんと叩く。 ぐいっと指を差し入れかき回すと、身体が硬直して、震えが小刻みになった。
「力、抜けよ」
と、これも先程と同じ状態で言ったため……多分、意味の通じる言葉にはなっていまい。
「……っは……ぁっ」
漏らすまいとしていた喘ぎが、思わず口をついて出るようになる。 その様子を見ながら、もう無理だな、と漠然と思った。 押し殺していた喘ぎが漏れるのは、白馬の理性が完全に麻痺し始めたのと同じこと。
――――ま、これはこれで楽しいからいっか。
思い直してニタリと。唇を離して、手を這わせつつ、悶える姿に目を細める。 白い肌に散った所有の印。首筋につけられることを嫌がるのを知っていて、敢えて行う。 明日の白馬の、苦虫を噛み潰したような顔が目に浮かぶようで、微笑む。
「いいじゃねぇか。オレのモンなんだから」
やさしい声で言って、跡に再び唇を寄せる。
「オレのだよ、おまえは……」
ささやくように――――。
「探」
陶酔すら覚えて、呼ぶ。
「なあ……?」
声が、耳に心地よい。荒い息遣い、掌に馴染む皮膚、熱い、身体……。
――――オレのだ……!
何もかも。おまえの身体、思考……おまえの、全て。
 絡め合った身体、やりとりする熱に、満たされる。 この時ばかりは、一つに溶け合うような錯覚すら覚える。
「……っ!」
感覚の共鳴。そして増幅。白馬の表情に、己の姿が重なる……。
 と、白馬が、固く閉じていた瞳をゆっくりと開いた。
 焦点の合わぬ瞳が快斗に向けられ――――

―――― か ・ い ・ と

唇が動き、艶めいた、微笑みの形。戦慄する。一気に、頭の中が真っ白になった……。


 まだ鼓動の速い白馬の身体を抱き寄せながら、快斗はぼんやりと記憶を辿る。
――――あの時おまえ……呼んだ、よな……?
無意識であったろう中で――――ということは……。
「なあ、白馬」
「……はい?」
「おまえひょっとして、頭ン中ではいつもオレのこと"快斗"って呼んでる?」
「……」
沈黙は肯定。快斗は小さく息をついた。
「これからは、声に出してもそう呼んでいいよ」
白馬が身じろいで、じっと、快斗を見つめる。
「君も……」
「あ?」
「そう、呼んでくれませんか……?」
しばし、絶句。
「……探、って?」
白馬は頷いた。そちらで呼ばれる方が、慣れているんです、と。だから――――
「……言わねぇよ」
「快斗?」
「白馬は白馬だろ」
ニヤリと笑って。頭を胸の中に抱き込む。
「白馬〜、も一回やろ?な?」
とたんに渾身の力を込めてオレを突き放し、
「冗談じゃありません!!」
と、羞恥に染まる目で睨みつける。快斗はけらけらと笑って、身を乗り出した。 緩慢な動作で逃げる身体と、それを追う腕。

 ベッドの上での攻防は、結局、快斗の勝利に終わる……。

END

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